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間抜け
神戸市の市立高校で高校3年生の男子生徒が自殺したことで、同級生の男子生徒が恐喝で逮捕された。その時の校長の記者会見がひどい。

記者「いじめがあったのか?」
校長「いじめあったかどうかはわからない」
記者「恐喝はいじめにあたると思うか」
校長「いじめにあたるかどうかはわからない」

なんと、間抜けな記者だろうか。そして何と間抜けな校長か。
一人の生徒が自殺をし、そして一人の生徒が恐喝容疑で逮捕されているのである。
これ事態がきわめて深刻な事態である。そのような事態にたっていること自体が問題なのである。その時になぜ「いじめがあったか」「いじめにあたるか」などと悠長なことを言っているのか。これでは、問題は何も明らかにならないだろうし、この種の事件がなくなることもないだろう。

「いじめ」という言葉だけが一人歩きしている。
  暴力をふるっても「いじめ」でなければ良い。
  金品を要求しても「いじめ」でなければ良い。
  殺人事件をおこしても「いじめ」でなければ良い。
こんなことになりかねない。

「いじめ」と言う言葉の存在が、むしろ問題の解決を困難にしている。次のことを何度も書いて来た。この考えは今でも変わっていない。
いじめ いじめを学校からなくすにはどうすればよいか? 「いじめ」という言葉を学校からなくせばよいのである。そんないいかげんなと言われそうだが、本当にそう思うことがある。例えば、何か事件がおこると「学校でいじめがなかったか」ということが問題になる。「いじめがあったかなかったか」と言われても学校は答えようがないだろう。「いじめ」とはある行為を受けた人間の観念に属することがらだからである。
例えば、恐喝、暴力、無視(しかと)、仲間はずれ、からかい、このような行為が「いじめ」になるのだろう。しかし、恐喝や暴力と無視や仲間はずれやからかいとはまったくレベルが違う。レベルが違うものを「いじめ」という言葉で一括して言うことが問題である。恐喝や暴力は明らかに犯罪である。これを「いじめ」と呼ぶべきでない。「いじめ」と呼ぶことによってかえってその罪深さを軽視することになる。「犯罪」と呼ぶべきなのである。無視、仲間はずれ、からかいは受け止め方は人によって異なる。もちろん意図的・集団的な行為もあるが他愛のないちょっとした誤解から生まれる場合もある。これも一括して「いじめ」と呼ぶべきでなく、その行為を具体的に言うべきである。そしてそれぞれに合った解決の仕方をすればよい。


| 教育 | 05:58 AM | comments (2) |
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