2008,06,08, Sunday
秋葉原通り魔事件
また、残虐な事件だ。被害者や遺族の無念さはいかほどのものか。秋葉原は私も好きな街で、東京時代はよく立ち寄ったものだ。また上京した時には今でも足をのばす。だから、他人事とは思えない。
こんな事件があると必ず起こるのが犯罪に対する厳罰化の主張である。その罪に応じて刑の大きさを決めるのは当然でそれはそれでよい。しかし、問題はこの事件の容疑者のような人間には、厳罰が何の効果もないことだ。この容疑者は「人を殺すため今日、静岡から秋葉原に来た」「誰でもよかった」「世の中が嫌になった。生活に疲れた」(毎日新聞)と供述しているそうだから、当然、死刑も覚悟している。 あの では、どうすればこのような犯罪を防ぐことができるのか。もちろん私に回答が出せるわけもない。自分と自分の家族の命は自分で守る。今のところ、このような心構えを持つ以外にない(何の効果もないかも知れないが、持たないよりましである)。 |
2008,06,08, Sunday
つちのえ う
戊卯
このホームページ(トップページ)の一番左上の文字に気がついた方はいらっしゃるだろうか。これは、十二支からとっている。昨年は「猪突猛進」だった。来年は何にしようかと考えているところである(そう言えば今年ももう半分が過ぎようとしている。はやいはやい)。「鈍牛」としたいところだが、できるかどうか。 さて、今年は子年なのだが、十干と組み合わせると戊子(つちのえね)となる。十干というのは、木、火、土、金、水のそれぞれが兄弟になっていて、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)という順でまわる(女性は参画しないが、お許し頂きたい。私が謝っても仕方ない。あ、また脱線しそうである)。西暦の1の桁が4の年が甲年なので、そこから考えるとすぐわかる(0の年が庚と覚えておいてもよい)。十二支は、西暦を12で割って割り切れた年が申年と覚えておく(覚えておいても何の得にもならないが)。 例えば、戊辰戦争の戊辰(つちのえたつ)はこの戦争のはじまった1868年をあらわす。甲子園球場はその名のとおり甲子(きのえね)の1924年にできた。この十二支と十干は地名などにもよく使われている(受験生の皆さんは、どうしても年を忘れたときには、このようにたぐっていけば思い出せるかもしれない)。 十干を組み合わせると、同じ年は60年に一度回ってくる。だから「還暦」である。私は1950年生まれで庚寅(別名豪の寅とも言う)だ(豪の寅にしては上品でしょ!)。そろそろ還暦がやってくるなあ。 ただ、生まれた年の暦で人の性格を決めつけるのは、星座と同じで何の根拠もない。もしそうだったら、私と同じ年に生まれた人はみんな「虎」のように凶暴だと言うことになる。私の同級生にだっていろいろな人がいる。おっと脱線。 またこの十干・十二支は年だけでなく日にも使われる。それが本日のタイトルである。さらに十二支は時間にも使われる。真夜中の0時を子の刻として2時間ごとに丑、寅、卯・・で正午が「午の刻」。いやこの言い方はおかしい、ちょうど午の刻だから正午と言うのだ(いつだったか、午前・午後の「午」が「午の刻」の「午」と気づいたときには、本当に感激した)。 それから方角にもこの十二支が使われている。もちろん北が甲、東が卯、南は午、西は酉、その間の東北は丑と寅の間で艮(うしとら)、東南が巽(たつみ)、南西が坤(ひつじさる)、北西が乾(いぬい)だ。だから、子午線はと南北、百人一首の「我が庵は、都のたつみしかぞすむ、世をうぢ山と人はいふなり」の作者は都の南東に住んでいたのだろう。 ついでにもう一つ、桃太郎のお話で家来が犬と猿と雉子なのは都の西方の話だからだそうだ。これは、もう10年以上も前に『授業づくりネットワーク』誌に野田芳朗さんが書いていたのだが、どの号だったのか出て来ない。 それから十干・十二支は、当然音楽の世界にも登場する。十二律、五声。ほれ、なんかぴったり合いそうでしょう。ただし、めったなことを書いて間違った情報を与えてはいけないので、これはもう少し勉強してから。 とにかく、十二支の話はおもしろい。 |