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めざす教師像などいらない
めざすべき教師像

教員養成学部にそんなものはいらない。もし、めざすべき教師像が決まってしまったら、その教師像とは異なった教師像を持った大学教員は、仕事ができなくなるではないか。
教育研究もその教師像に規定されるではないか。

どんな教師をめざすせば良いか敢えて言うなら、私は「めざすべき教師像」を否定する教師と言う。どんな教育思想、授業思想、実践思想も一度は疑ってかかるべきなのだ。「教師は子どもが好きでなければならない」「音楽の教師は音楽が好きでなければならない」と言うことですら、疑うべきなのだ。だからこそ、大学で教員養成をする必要があるのだ(そう言う意味では我が学部のめざすべき教師像「児童生徒・成人に働きかけ、読みとり、働きかけ返す力をもつ教育プロフェッション」はとてもよい。これは実際にはめざすべき教師像などにはなっていない。教師という仕事について説明しているだけだからだ)。

ついでに言うが、学校に「めざすべき子ども像」もいらない。自分がどう成長するかは子どもが自分で決めたら良いのだ。自分で決めていく力をつけるために学校の勉強をするのだ。ただし、人間として最低限守らなければならないルールは身につけさせなければならない。しかし、そんなものはみんな同じである。各学校が「めざすべき子ども像」を決めても、結局は言葉主義に陥るだけだ。

そう、私は少し怒っているのだ。

| 教育 | 04:16 PM | comments (0) |
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