2006,10,29, Sunday
日本音楽教育学会
昨日から日本音楽教育学会の37回大会が、千葉大学ではじまった。
1日目の午前中の研究発表で、私は京都教育大学のS氏といっしょに司会を担当した。こういう時の司会のコツはでくのぼうに徹することである。ただ、ひたすらプログラムがスムーズに進行することだけを考えるのである。よけいなことはいっさい言わない。発表者の発表内容にコメントをつけるなどもってのほかである。そんなことをすると、議論の時間を奪うことになる。 午後のメインは大会実行委員企画の講演とシンポジウム「いま、学校音楽科教育にもとめられるもの−研究者、音楽科教員の役割を探る」 講演者は文部科学省初等中等教育局長。パネリストは、学会外の大物二人に学会員二人。これだけの大物をそろえられるコーディネーターの力に驚嘆し、また期待もしていたのだが、内容は最悪だった。 まず、局長の講演。初等中等教育行政の最高責任者である。現在の教育改革の全体像について話が聞けると思ったのだが、内容は、中教審の教育課程部会に芸術専門部会からあがってきた「音楽科、芸術科(音楽)の現状と課題、改善の方向性(検討素案)」という文書の説明だけ。この文書の存在を知らない人はいるかも知れないから、少しくらいの情報価値はあるかもしれないが、少なくとも局長が1時間もかけて話すような内容ではない。それに専門部会の委員は学会内にもいくらでもいるではないか(笑)。まあ、音楽教育学会という場に、とにもかくにも局長に来てもらうことが目的だったのなら、それはそれで仕方がない。 シンポジウムのタイトルは「学校教育と学力ーいま音楽科教育研究は何をすべきか−」 パネリストの話もさえなかった。とくに学会外のパネリストは、自分で「私は音楽の専門外だから」と言い訳しながら、結構「音楽教育はかくかくしかじかあるべきだ」という話をしていた。私たちが外部の方の話を聞く場合、その人の音楽教育論を聞きたいわけではない。その人の専門に関わる話を聞いて、私たちなりに理解し音楽教育の研究や実践に生かそうとするわけである。「専門外だから」言い訳の入った話ほどつまらない話はない。 学会内のパネリスト(いつもはおもしろいのだが)の話もまったくつまらなかった。いつもの編み目の図も出てきたが、それでもつまらなかった。結局、このシンポジウムは何を話す会だっのかがまったくわからなかった。最初から最後まで、それぞれのパネラーの話がまったくかみあわなかった。私のお隣に座っていた方はずっと寝ておられた。 教育改革に焦点をしぼるのなら、現在の学習指導要領について徹底的に議論するとか、上に述べた「検討素案」について議論するとか(そうなると私は相当緊張しただろうが)、いろいろあったはずだ。学力論なら学力論でもっと適切な専門家はいる。 企画としてどうだったか。 (もちろん、大会を準備してきた会場の大学のスタッフには感謝をするが) コーディネーター(兼司会者)が、最後のほうでパネラーの発言とは無関係に自分の学力論を披露したこと、一番最後にフロアーの欲求不満を解消するためかも知れないないが全員合唱が行われたこと・・かえって欲求不満になった・・はご愛敬か。 |
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