2007,09,19, Wednesday
間抜け
神戸市の市立高校で高校3年生の男子生徒が自殺したことで、同級生の男子生徒が恐喝で逮捕された。その時の校長の記者会見がひどい。
記者「いじめがあったのか?」 校長「いじめあったかどうかはわからない」 記者「恐喝はいじめにあたると思うか」 校長「いじめにあたるかどうかはわからない」 なんと、間抜けな記者だろうか。そして何と間抜けな校長か。 一人の生徒が自殺をし、そして一人の生徒が恐喝容疑で逮捕されているのである。 これ事態がきわめて深刻な事態である。そのような事態にたっていること自体が問題なのである。その時になぜ「いじめがあったか」「いじめにあたるか」などと悠長なことを言っているのか。これでは、問題は何も明らかにならないだろうし、この種の事件がなくなることもないだろう。 「いじめ」という言葉だけが一人歩きしている。 暴力をふるっても「いじめ」でなければ良い。 金品を要求しても「いじめ」でなければ良い。 殺人事件をおこしても「いじめ」でなければ良い。 こんなことになりかねない。 「いじめ」と言う言葉の存在が、むしろ問題の解決を困難にしている。次のことを何度も書いて来た。この考えは今でも変わっていない。 いじめ いじめを学校からなくすにはどうすればよいか? 「いじめ」という言葉を学校からなくせばよいのである。そんないいかげんなと言われそうだが、本当にそう思うことがある。例えば、何か事件がおこると「学校でいじめがなかったか」ということが問題になる。「いじめがあったかなかったか」と言われても学校は答えようがないだろう。「いじめ」とはある行為を受けた人間の観念に属することがらだからである。 |
コメント
同感です。「いじめ」という言葉を無くしましょう。
ストレスという言葉も無くなれば良いのに・・・。
| エバコス | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | Yu8hu91Q |
> 「ストレス」という言葉も無くなれば良いのに・・・。
「ストレス」と言う言葉がなくなったら、本当にストレスがなくなるでしょうか。
| 吉田孝 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | d2tgLU0c |
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