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日本の歌百選
信じられないことだが、今日は雨だ。
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忘れていた。別に忘れていてもたいしたことではないのだが。

文化庁と日本PTA全国協議会が募集していた「親子で歌いつごう日本の歌百選」が発表されている(別に「親子で」じゃなくてもいいと思うが)。

第1位は「仰げば尊し」。えっ? マジ? 
まあ、PTA主催だから。
全国から募集し、選考委員会(我が坪能由紀子日本音楽教育学会会長の名も)で選んだものだ。完全な得票順ではないと思うが、ながめていると結構おもしろい。

『仰げば尊し』は1位ではないようだ。
101曲を五〇音順に並べたので、たまた1番最初に来ただけのようだ。
津田氏よりご指摘をいただいた。



ところで、この「仰げば尊し」の旋律で「もしもし亀よ」を歌うととっても面白いのだ。
「どうして、そんなに」
f/m:-:f:s:-d'/d':-:l:l:-:
ここはリタルダンドして、「に」には思いっきりフェルマータをかけて歌いましょう。

| 音楽 | 07:50 AM | comments (6) |
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Windows Vista
Microsoft から、Windows の新しいバージョンが発売された。以前の私ならすぐ飛びついていただろうが、今回はまったく無視を決め込んでいる。3D画面とか高速化とか言うが、いかにも重そうだ。結局ハードを買い換えなければならないのだろう。

前から言われていることだが、Microsoft社は市場を独占しすぎている。一社のものを除けばハードウエアにははじめから Windows が搭載されている。半ば強制的に OS を売りつけているわけである。ほとんどの人は売りつけられていることすら自覚していない。それが当たり前だと思っている。OS だけならよいがアプリケーションも一緒についてくる。それでワープロソフトとしては Word を使う以外になくなっている。たいていの人は何の断りもなく Word で文書を送ってくる。しかたがないから自分のコンピュータにも Office をインストールしておかなければならない。(何を隠そう、私は"一太郎"ユーザーなのだ。ただし、面倒だからバージョンアップは3年ほどしていない)。

いろいろ対向手段を考えてみる。
(1)Mac に切り替える。
この歳で新しい OS は少し苦しい。それでもワープロ等のソフトは Microsoft を使わなければならない。コストはやはり同じかそれ以上かかる。
(2)Linux を使う。
これはお金がかからない。OS は雑誌についてくる。
テキスト版をサーバーとして使っている。ただ Linux を日常のワークステーションとして使用するのは、私にはまだ無理である。OpenOfficeと いうフリーのソフトウエアが使えるが、使いこなすのはなかなか大変だ。それに日本語が使いにくい。いろいろ設定すれば、使いやすくなるそうなのだが、自分で今さら勉強する時間的ゆとりもない。

しゃくだが、しばらくは Microsoft 社のお世話になるしかない。思えば、1980年代にNECのPC-9800を使いはじめた頃、OS は MS-DOS だった(MS-DOSって何どすか?などと言うギャグがなつかしい)。MS とはもちろん Microsoft の略である。もう20年以上 Microsoft 製品を使って(使わされて)いることになる。いつになったら、脱出できるのだろう。

| コンピュータ+インターネット | 05:20 AM | comments (0) |
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有楽町で逢いましょう
五時、脱痔、返還ミスが、多すぎる。これを減らすために自分にペナルティーを課す。この文以降に書かれた記事で、誤字、脱字、変換ミス、明らかな「てにをは」のミス、文法ミスなどを見つけた方は、コメント欄で指摘していただきたい(メールも可)。その方には、お会いしたときに、次のうちから、お好きなものをおごることにする。生ビールジョッキ1杯または大瓶1本、焼酎1杯(どんな飲み方も可)、ウイスキー一杯(ダブルも可)、日本酒1合または300ミリ瓶1本、コーヒーまたは紅茶1杯。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私は東京で人(誰かは秘密)と会う時、たまに有楽町で待ち合わせをする。有楽町と言うと、反射的に頭の中を流れるメロディーがある。そう、「有楽町で会いましょう」である。おじさんなのである。

(2/4)
/f .-,m:l .-,t/d' .-,m':r' /t .-,m:t .-,d'/l :- /
関西発の百貨店そごうは東京進出にあたり、当時はまだ珍しかったメディアを利用した宣伝キャンペーンを展開し、そのキャンペーンの中心となったのがポスターだった。ポスターに書かれたキャッチコピーは「有楽町で逢いましょう」というもの。(中略)そごうはポスターだけでなく『有楽町で逢いましょう』というテレビの音楽番組をスポンサードした。(中略)これらのプロモーションは成功し1957年5月25日のそごう有楽町店のオープンには雨の中、1万8000が押しかけた。(中略)
そごうのキャンペーンは終了したが、今度は「有楽町で逢いましょう」というキャッチフレーズ自体が一人歩きをはじめた。(中略)
この人気に目をつけた大映、平凡出版、ビクターの三者が映画化に乗り出した。その名もコンビナート作戦である。そごうは資金は出さなかったが、店名と場所をロケなどに提供した。
まず、宮崎博史作の同名小説を雑誌『平凡』に連載。同名の曲「有楽町で逢いましょう」は佐伯孝夫作詞・吉田正作曲によって作られ、歌手にフランク永井が起用されて同年11月に発売、これが大ヒットとなった。翌年封切の同名の映画(島耕二監督、川口浩・野添ひとみ主演)も上々の興行収入をあげたが、歌のヒットがあまりにすさまじく、映画はすっかり影が薄くなってしまったほどである。
速水健朗『タイアップの歌謡史』(洋泉社新書y・780円)

「タイアップ」というのは、一つの歌を映画やドラマやCMなどと結びつけてヒットさせることを言うのだが、その初期の形態の一つが「有楽町で逢いましょう」だったのである。

ただし、そごう有楽町店は2000年に閉店し、今はビックカメラになっている。

| | 08:49 AM | comments (0) |
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トニック・ソルファ
1月13日に、トニック・ソルファに基づく記譜法を紹介した。今日はに日本で最初にこのトニック・ソルファ法に基づいて編纂された唱歌集を紹介する。

鈴木米次郎編『新式唱歌・一名トニックソルファ唱歌集』(197年・明30年)

J. Corwen のテキストをただ直訳したものではなく、当時の唱歌をトニック・ソルファ法で記譜したものである。もちろん、この唱歌集のためにつくられた曲もある。それを、先日紹介した記譜法で表してみる。

「学問の體」。
d=C(2/4)
/d .d :d .d /d .d :d .d /d .d :d .d /d :- /
/r .r :r .r /r .r :r .r /r .r :r .r /r :- /
/m .m :m .m /m .m :m .m /m .m :m .m /m :- /
/f .f :f .f /f .f :f .f /f .f :f .f /f :- /
/s .s :s .s /s .s :s .s /s .s :s .s /s :- /
/l .l :l .l /l .l :l .l /l .l :l .l /l :- /
/t .t :t .t /t .t :t .t /t .t :t .t /t :- /
/d'.d':d'.d'/d'.d':d'.d'/d'.d':d'.d'/d' :- /

要するに、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・ティ の音階練習なのだが、この曲の歌詞がすごい。何がすごいかって、よく「見て」頂きたい。

道理は学問(まなび)の手足なり
礼儀は学問の顔貌(かおかたち)
磨くは学問の浴(ゆあ)みにて
勉励(はげむ)は学問の滋養物
粗忽は学問のきずのもと
懶堕(らいだ)は学問の病とする
知識は学びの衣服ぞよ
道理は学問の手足なり

なお、この唱歌集は江崎公子編集『音楽基礎研究文献集第1巻』(1990年・大空社)で復刊されている。

楽譜の5段目が一部まちがえていましたのでなおしました。

続き▽
| 教育+音楽 | 06:29 AM | comments (6) |
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めざす教師像などいらない
めざすべき教師像

教員養成学部にそんなものはいらない。もし、めざすべき教師像が決まってしまったら、その教師像とは異なった教師像を持った大学教員は、仕事ができなくなるではないか。
教育研究もその教師像に規定されるではないか。

どんな教師をめざすせば良いか敢えて言うなら、私は「めざすべき教師像」を否定する教師と言う。どんな教育思想、授業思想、実践思想も一度は疑ってかかるべきなのだ。「教師は子どもが好きでなければならない」「音楽の教師は音楽が好きでなければならない」と言うことですら、疑うべきなのだ。だからこそ、大学で教員養成をする必要があるのだ(そう言う意味では我が学部のめざすべき教師像「児童生徒・成人に働きかけ、読みとり、働きかけ返す力をもつ教育プロフェッション」はとてもよい。これは実際にはめざすべき教師像などにはなっていない。教師という仕事について説明しているだけだからだ)。

ついでに言うが、学校に「めざすべき子ども像」もいらない。自分がどう成長するかは子どもが自分で決めたら良いのだ。自分で決めていく力をつけるために学校の勉強をするのだ。ただし、人間として最低限守らなければならないルールは身につけさせなければならない。しかし、そんなものはみんな同じである。各学校が「めざすべき子ども像」を決めても、結局は言葉主義に陥るだけだ。

そう、私は少し怒っているのだ。

| 教育 | 04:16 PM | comments (0) |
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学習指導要領の改訂は延期
文部科学省は昨年1月に決めた「教育改革の重点項目」で、早ければ18年度内の学習指導要領改訂を行う予定だったのだが、まだまだ先になりそうである。

教育基本の国会審議、いじめ問題、高校の必修科目の未履修問題などがあって、中央教育審議会の教育課程部会が開催されなかったことが原因らしい。それにともなって、教育課程部会参加の各教科別専門部会(音楽の場合は芸術専門部会)も昨年の夏以来開催されていない。それにおおもとの第三期中央教育審議会はこの1月末で任期が終了することになり、第4期の審議会の顔ぶれによっては基本方針が一変する可能性もある。

これには少し問題がある。2001年の行政改革でかつての文部大臣の独立した諮問機関であった、中央教育審議会、教育課程審議会、教員養成課程審議会、大学審議会などは、すべて中央審議会に一本化された。そのために、かつて教育課程審議会で審議されていた事項は、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会という、中央教育審議会の言わば「孫部会」で審議されている。さらに芸術教育となるとその下の曾孫部会ということになる。行政をスリムにするためにこのような組織になったはずなのだが、ピラミッド組織になったためにかえって窮屈になっている。

その上、教育再生会議が設置された。中教審に比べれば軽い組織の上に、内閣の直接動かすことができるので実質的な権限は中教審より上だ。これでは中教審不要論どころか、文部科学省不要論さえ、生まれかねない。

| 教育 | 06:10 AM | comments (0) |
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ひさしぶりに


| 日常 | 08:17 AM | comments (0) |
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雪がない
今日も1時間ほど走って来たが、道路に雪がない。私は弘前で6回目の冬を迎えたが、こんなことははじめてである。
すでに、隣の大鰐町で行われる予定だったスキーの学生選手権が雪不足で延期になった。
弘前では2月の3連休を中心に雪灯籠祭りが開かれることになっているが、大丈夫だろうか。
でも、雪がないのは、南の人間の私にとってはとてもよいことである。

(追加)
・・・と思ったら、上を書いたあとから雪がふりはじめて、一気につもってしまった。

| 日常 | 07:18 AM | comments (1) |
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行動の記録
昨年末に次のようなことを書いた。
1年を長く感じるためには、記録を取るようにすればよい。あとで記録を見て、自分が1年何をしたのかをゆっくり見ることにする。ただ、ものぐさの私にはそれは相当難しいことである。だから、とりあえずこの3日間だけ実効してみる。「3日だけ実効してみる」と言うのは、どうせ3日坊主だとあきらめているからだ。それでも最後の3日だけは少し長めに感じることにある。
何と、まだ続いている。心持ち時間がゆっくり過ぎているような気がする。

| 日常 | 08:32 AM | comments (0) |
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いろいろ
昨日は、附属幼稚園を見学。
そのあと附属小学校に行って授業をした。小学校で授業をするのは1年半ぶりくらいである。いつも私が言っているように、大学に勤める音楽教育研究者が小学校で授業をして見せるのは「邪道」である。音楽教育研究者は、小学校の授業については「して見せる」のではなく、文章によって表現すべきである。しかし、文章ではどうしても表現できないことがある。私に文章で表現する能力が欠けているからである。能力がないから「して見せる」しかないのである。

ところで、上の「して見せるのは」まで書いて、ぱたと指が止まってしまった。「邪道」と言う言葉がなかなか思い出せなかったのだ。最近、固有名詞をよく忘れるようになったと思っていたら、普通名詞まで出てこなくなってきた。

今日と明日、大学では大学入試センター試験が行われている。弘前大学も会場になっているが、監督等の業務はローテーションになっていて、私は今年は非番である。かつて、共通一次試験と呼ばれていたころは、監督手当の額が大きく、監督があたると喜んでいたのだが、時代がかわってしまった。

| 日常 | 09:45 AM | comments (4) |
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