2007,04,30, Monday
満開
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2007,04,29, Sunday
昭和の日
弘前公園 午前7時頃 あと少し。明日あたりが見頃か! はじめての「昭和の日」である。 昭和の「昭」は太陽を表す「日」と呼び寄せるという意味の「召」で「明るい」という意味らしい。しかし、この「昭」の字は、年号に使われなければめったに使われない字だ。ただ、この「昭和」と言う年号からとった固有名詞はたくさんある(「昭二」という名のおじがいる。昭和2年生まれである)。しかし、固有名詞以外で「昭」が使われたのを一度もみたことがない。子どもの頃から不思議で仕方がなかった。 さて昭和の世。前半は「昭和な世」すなわち「明るく平和な世」とは言えなかった。しかし、後半は、きわめて「明るく平和な世」だった。ただし、私が体験したのは後半だけである。 |
2007,04,28, Saturday
平成2X年度全国学力テストの扱いについて
文部科学省の方針
1 本年度学力テストの平均点にもとづいて各校を次の五段階に分ける。 A段階 著しく好成績の学校 B段階 好成績の学校 C段階 普通の成績の学校 D段階 成績の劣る学校 E段階 著しく成績の劣る学校 2 各段階ごとに学校に対して次のように対処する。 A段階 テスト実施の際に何らかの不正がなかったかどうか調査を行う。 ・成績の改ざん、問題の事前漏洩などの不正がなかったか ・カリキュラムの改変、例えば学力テスト以外の教科(例えば音楽)をテストの準備にあてるなどの改変をしていなかったか ・成績の劣る児童・生徒へ欠席をすすめたりしなかったか この結果不正が明らかになった場合には、関係者(監督責任者を含む)に対し厳選な処分を行う。不正がない場合はB段階の学校と同様の対処をする。 B段階 保護者に経済力があり、通塾率なども高いと考えられる。したがって学校予算を20%削減し、不足分は収入に応じて保護者に負担してもらう。 C段階 現状のままとする。 D段階 教育困難校であり、予算を増額するなどして教育環境を充実させる。予算増額分にはA段階B段階の学校の削減分をあてる。 E段階 学校運営、教師の能力等に欠陥がなかったどうかについて調査を行う。学校運営や教師の能力に問題があった場合は、厳しい処分を行う。学校運営や教師に何ら問題がない場合にはD段階の学校と同様に対処する。 続き▽ |
2007,04,28, Saturday
半開
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2007,04,27, Friday
寒い
信じられないが、昨日は雪が降った。
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2007,04,26, Thursday
はっても黒豆
壁に小さな黒い点が見える。
ある人が「あれは虫だろう」と言う。 もう一人が、「いやあれは黒豆だ」と言う。 おたがいに自説を主張してゆずらない。 そのうち、その黒い点がもそもそと動き出す。 「ほら、やっぱり虫だっただろう」 「いや、あれは黒豆だ」 自説をまげない頑固者のことをたとえることわざである。 私のまわりにはこういった「はっても黒豆」人間がたくさんいる。とくに、あの人とあの人とあの人・・・ click |
2007,04,25, Wednesday
まだまだ
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2007,04,24, Tuesday
開花寸前
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2007,04,23, Monday
「全国学力・学習状況調査」
「全国学力・学習状況調査」(いわゆる「全国学力テスト」)が全国の小学校6年生、中学校3年生に対して実施される。国語及び算数・数学の調査が中心になる。
この学力調査に対しては一部に反対意見があり、実施を取りやめた教育委員会もある。反対の理由は、次の通りである。 1 その結果で学校や教員が評価される。 2 学校が学力テストのための教育をすすめるようになる。 例えば、1960年代に行われた全国学力テストでは、学校が成績のすぐれない子どもに学力テスト当日には欠席をすすめたことなどが しかし、全国的な学力調査は、子どもたちに学力が定着しているかを知る上で不可欠である。データを毎年積み重ねて行くことは、現在にとどまらず将来の日本の教育にとっても、必要なことである。そもそも、このような調査を定期的に実施し結果を集積していくことは教育行政の基本的な役割の一つである。(音楽科の調査すら必要である。実際には難しいが・・・)。このような意味では、文部科学省はやっと当たり前のことを行うことになったと言うべきである。 ただし重要なことは、行政も現場もこの調査が公正に行われるように最大限の注意を払うことである。調査をすることが競争に結びついてはいけない。この学力テストの結果によって教員や学校が評価されることが決してないようにしなければならない。そうでなければ、正しい調査結果は得られない。 |
2007,04,21, Saturday
逆「学歴詐称」
大阪市で、大学などを卒業しているのに高卒限定の職種に応募して採用された職員が1000人以上にのぼることが報道されている。これらの職員は1ヶ月の停職処分になると言う。これより先に、神戸市や尼崎市では同じような例で諭旨免職処分になっている。青森市でも以前バスの運転手が免職処分になっている。
今回の処分が適切かどうかは別にして、高卒の職種に大学卒業者が受験できないという制度がそもそもおかしい。高卒というのは、この場合一つの受験資格である。同じように、大卒も受験資格である。この資格を使おうが使うまいが個人の自由である。運転免許証を持っている人が車を運転しようがすまいが自由であるのと同じである。大卒という資格を放棄するのがなぜいけないのか。そんな人はいくらでもいるではないか。 この制度のおかしさは、職員募集要項に「高等学校卒業者であることを証明する文書を添付すること」という一文がついたと仮定すれば分かる。「高校を卒業した」という証明書は簡単に得ることができるが、「大学を卒業していない」ということを証明する文書を得るのはほとんど不可能に近い。日本中どころか、世界中の大学から「右(下記)の者は本学の卒業生ではないことを証明する」という文書を取り付けなければならなくなるからである(「ある」と言うことを証明するのは簡単だが、「ない」と言うことを証明するのはとても難しいということは論理学で論理的に証明されているのだ。だから冤罪事件が発生する。私は、悪いことをしたことならいくらでも証拠を出せるが、悪いことをしていないという証拠は出せない。・・・おっと話が脱線しそうである)。 今回の大阪市の事例では自分で申し出た人は停職だが(これは自首にあたるので、罪を減じるということか)、あとで大卒だとわかった場合は懲戒免職だそうだ。しかし、本当に大学や短大を卒業していない人で二十歳を過ぎて採用された人は、どうやってそれを証明するのだろう。 そもそも、大学卒だったらなぜ問題なのだろうか。例えば教育学部の教員養成課程を卒業した場合、教師にならなければ大学で学習したことはほとんど職業の役には立たない(あくまで職業の役に立たないのであって、人生の役に立たないとは言っていないので、念のため)。職業に役に立つか立たないかという点では高卒と同じである。おそらく公務員試験を受ければ、高卒程度の部門にしか合格しないだろう。しかし、そのような人生を選ぶのならそれはそれで良いではないか。教育学部に限らず、大学で学習したことが生かせる職業につけたら「幸運だ」と言わなければならない時代なのである。 だいぶ話が脱線して来たぞ。脱線したついでに言えば、私は大学院の修士課程を修了している。しかし、いまの職業についていなかったら、大卒どころか高卒ですら無駄になっていただろう。体力もないし事務能力もない。根性もなければ、人間関係もうまくやっていけない。そして何よりも非常識な人間である。たまたま何らかの職業につくことはできても、すぐにトラブルを起こしていただろう。人生の幸運につくづく胸をなでおろす今日この頃である。 と言うわけで(もっと脱線すると)、修士課程を修了したばかりで研究実績も教育実績もなかった私を、ほとんど無審査で拾ってくれった最初の職場である松山東雲短期大学、そしてそこで私を育ててくれた先輩の先生方には本当に感謝しているのである。しかし不義理ばかりしている。いつか何らかの役に立ちたいと思っているのだが、できることが何もない。 |