2007,06,30, Saturday
DTM(その2)
九州でお会いした元高校音楽教師のT先生。次のようなお話をうかがった。
若い頃に交通事故に遭い、その影響で年を追うごとに体が動かなくなっていった。定年の4、5年前には車椅子生活となり、ピアノも弾けなくなった。しかし、新しい表現手段としてパソコンがある。パソコンを使って、定年まで教師生活を全うすることができた。 先生は言われる。 「パソコンによって、音楽生命が救われた」 そして、定年後は地域の人々にパソコンミュージックの指導をされている。 今回、地域の公民館で指導されているところにおじゃまをした。簡単な旋律に伴奏をつける課題の指導をされていた。会場にはあたたかい空気があふれていた。 私は、音楽に関しては冷静なのである。音楽に関わる場面で泣いたことはない。しかし、今回はあぶなかった。みなさんの前で先生から感想を求められた時には、この会場のあたたかさに思わず涙があふれそうになった。何とか踏みとどまったが、危ないところだった。 かわりにいっしょに行った学生が泣いてくれた。 |
2007,06,29, Friday
「たり」が足りない
また、文章にいちゃもんをつける。
クレジットカードの請求書の中に入っていた文章である。次のように書いてあった。 ■口座振り替え日に注意問題は「遅延損害金がかかったり」を受ける言葉がないことである。最後は「カードが使えなくなったりすることもあります」でなければならない。「〜たり」という言葉を使うと、もう一度「〜たり」を使わなければ、文として成立しないのである。これを私たち(?)は「たりたり文」と呼んでいる。 次の文も「たりたり文」として成立していない文である。 ドアに手をはさまれたり引き込まれないようにしましょう。(地下鉄で)かなり注意していなければ言葉のプロでもやってしまうのである。そう言う私も、実はしょっちゅうやっている。最近書いた雑誌の文である。もう印刷されている(泣) この授業では、「強弱を感じとって表現を工夫」することが学習の内容になっている。こちらを実現しようとすれば、強弱表現について考えさせたり、グループに分けてどのように強弱表現をすればよいかを工夫させるという授業になる。締め切りに追われて書くとこのようなことになる。最後は「工夫させたりするという授業になる」でなければならない。ただ、それではくどい文になる。「たりたり」はできる限り使わないほうがよさそうだ。 |
2007,06,28, Thursday
Waterproof Disposal Bag
![]() 飛行機の座席ポケットに備えられている。中央の Waterproof Disposal Bag を直訳すれば、「耐水性汚物入れ」と言うことになる。この下には日本語で次のように書かれている。 「屑物入れやご気分の悪い時に、ご利用ください」 落ち着きが悪い。この違和感の正体は何だろう。どうも「や」の使い方にありそうだ。 「や」は並立助詞で同じ種類の言葉を並べて言う場合に使う。どの言葉を並べているのか。試してみる。 (1)「屑物入れ」「ご気分」 「屑物入れ」と「ご気分」を並べているとすると、「屑物入れ」は「の悪い時に」につながらなければならない。 「屑物入れの悪い時に、ご利用下さい」 これでは、意味が通じなくなる。「屑物入れやご気分」は成立しない。 (2)「屑物入れ」「ご気分の悪い時」 こうだとすれば、「屑物入れ」は「に」につながることになる。 「屑物入れに、ご利用下さい」 「ご気分の悪い時に、ご利用ください」 成立しているように見える。しかしそれでも、「や」を使うと違和感を感じる。何故か。 実は、格助詞「に」の用法が前者と後者では用法が異なっているのである。 「屑物入れに」と言う場合の「に」は方向を表す用法である。 「ご気分の悪い時に」の「に」は時を表す用法である。 つまり、「屑物入れに」という場合の「に」と「ご気分の悪い時に」の「に」を共用することは無理があるのである。それを無理に共用しているのが違和感の正体である。 一文で表そうとするなら、次のように書くべきなのである。 「屑物入れに、またご気分の悪い時に、ご利用下さい」 これで文法的にはおかしくないが、それでも何となく落ち着きが悪い。次のように文を分けてわかりやすく書いたほうが良い。 「この袋は防水加工されています。ご気分の悪い時にご利用ください。またくず物入れとしてもご利用ください」 Waterproof の意味がわかってこそ、安心して使えるのである。 この他にも、JALの機内には、おかしな日本語がたくさんある。 JALって本当に大丈夫JALか。 |
2007,06,27, Wednesday
DTM
九州から戻ってきた。
DTP・・・デスク・トップ・ミュージック 最近はITの影の部分ばかり見えて、光の部分がどうも見えなくなっていた。 しかし、光の部分も大きい。まだまだすべてが見えていない。今回、九州に行ってその感を強くした。 音楽教育におけるコンピュータの活用・・・もう一度検討し直してみたい。 |
2007,06,26, Tuesday
初体験
前々からやってみたかったこと・・・
羽田航空のワイヤレスネットワークを使って、ネットに接続してブログ更新 うまくいきますか |
2007,06,26, Tuesday
さすがに
![]() 昨日は、中学校、高校の同級生がやっている店で、同じ同級生と会って飲む。 九州での日程もすべて終了。あとは帰るだけである。今日は福岡−青森直行便がない日なので 羽田で乗り換えである。 もう一度ラーメンをたべて、辛子明太子と辛子蓮根を買って帰ろう。 |
2007,06,25, Monday
九州
九州旅行4日目である。 ホテルのネット環境が悪く、ブログの更新ができなかった。 今人吉市のホテルからである。 一昨日、昨日は阿蘇でセミナーに参加、昨晩は学生たちと人吉市のとなりのあさぎり町のサークルを訪問・・・言葉では言い表せないくらい幸せな時間をすごした。 旅行は明日まで |
2007,06,22, Friday
言挙げ
牛肉ミンチに豚肉などを混入させていた食品加工会社「ミートホープ」の記者会見は考えさせられた。工場長は社長の指示に逆らえず混入を続けて来たことが明らかなった。日本の企業では、上司の指示に異をとらえるのは勇気のいることらしい。お役所も同じようなものである。これも問題だが、仕方ない面はある。
もっと問題は、上司の言ったことでもなく、また発言の機会が十分に保障されているにもかかわらず、決定や指示に対して異を唱えることがなんとなくはばかれらるような雰囲気が社会全体に蔓延していることだ。意見を言う場合でも、人の顔色を伺い、そして言葉を選び、前置きをたくさんつけなければならない。その場が丸くおさまることが一番大切なのである。日本社会というのはその場の空気でものごとが決まっていく社会なのである。 私は、かつてはこのような「空気の支配」に対抗し、言挙げすることを自分の生き甲斐にしてきた。そしてそれは自分のアイデンティティでもあった。ところが、歳を取るにしたがってすっかり空気に支配されるようになった。空気を読むのも上手になった(これでも!)。それならまだよいが、そう言う空気を作る側にまわることさえ多くなった。人間もすっかりまるくなってしまった(ついでに体もまるくなってきた。ギラギラしていた目つきもずいぶん穏やかになった)。身の回りには敵もいない(と主観的にはそう思っている)。まことに平和である。 言挙げしたいことが山ほどあるがやめた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今日から、九州に旅行する。学生も3人連れて行く。 |
2007,06,21, Thursday
危険サイト
16日頃から、このサイトを弘前大学のLANに接続してあるコンピュータからは閲覧できなかった。16日、大学のシステムのファイアウォールの設定が厳しくなったために、このサイトは有害なサイトになってしまったようだ。ためしに、グラビアサイト(?)などを見てみたが、何の問題なく閲覧することができた。私のサイトはそれ以上に有害なサイトとなったわけだ(泣)。
・・・と言うわけで、なぜそうされたのかわからないので、大学の総合情報センターに確認したら、技術的な問題でファイアウォールに引っかかってしまったと言うことがわかった。ただし、その技術的な問題と言うのが何の事やらチンプンカンプン・・とにかくその部分のファイアウォールを解除してもらって、無事閲覧できるようになった。 ただし、学生の実習用のコンピュータからはまだ見えないそうである。調査中ということであった。 |
2007,06,20, Wednesday
指名
授業の中で教師が発言させる児童(生徒、学生)を決定することを「指名」と呼ぶことに
する。指名の方法には大きく分けて次の4種類くらいがある。 挙手指名 挙手した者を指名する。 列指名 一列全員を指名し次々に発言させる→全員に発言させることをねらっている。 偶然による指名 日付などと出席番号を結びつけて指名する。 意図的指名 授業毎に教師が位置づける児童を決めて指名する。 最近見た授業では、挙手指名しか知らないかのような先生の授業ばかりである。 挙手指名には大きな問題がある。教室を「挙手する者」と「挙手しない者」を二分しそれを教師が追認してしまうことにある。本当は教師が一番大切にしなければならないのは挙手しない者であるはずである。 私は、学校では列指名などの方法を活用すべきだと思っている。ただし、列指名では「わかりません」と言う者がたくさん出てしまうだろう。そうならないためには、考える時間を与えることである。発問をしたら「ノートに自分の考えを書きなさい」と言う指示をするのである。 小学校の授業を見ていると、教師が発問するとちょっと勉強のできそうな子や目立ちたがり屋の子が間髪入れず挙手し、その子らを中心に授業が進んでいくことが多い。よくそんなにぱっと答えが出るものだと思う。そしてよくそんな短時間で答えを出すのを許しているものだと思う。はやく答えを出せばよいと言うものではないだろう。暗澹たる気持ちになる。 |