2008,03,28, Friday
不正コメント
このところ、不正コメントが続いている。その内容はまったく無意味である。そしてそのほとんが、外国のIPアドレスからである。消去して、アクセス制限をかけるのだが、きりがない。アクセス制限をしすぎると、他の人まで見られなくなるおそれがある。
おそらく自動巡回の書き込みソフトを使っているのだろう。双方向のホームページを開設したリスクの一つである。なんらかの対策を考えなければならない。 |
2008,03,27, Thursday
ありえない!
飛行機に乗るときには、
しかし、駅のホームに立っていて後ろから線路の上に突き落とされるとは予想できるはずがない。よほど人の恨みを買うような行為をした人なら別である。こんな理不尽な死はない。残された家族は一体どう心の整理をつけたらよいのだろう。 駅のホームにすべて柵をつけろとか言うような人が出て来そうだ。しかしそんなことをすればもう全国の鉄道事業はたちいかなくなるだろう。自分で自分を守るなら、駅のホームではみんな真ん中あたりに立つしかない。 そればかりではない。土浦の事件も同じで、毎日の生活が危険と隣り合わせ。いつどこで事故や犯罪にまきこまれるかわからない。警戒心を持って生きていかなければならない。そんな社会はいやだが、確実にそんな時代に近づいている。 |
2008,03,26, Wednesday
杯中の蛇影
「杯中の蛇影」と言う故事成語(諺)を教えて貰った。
杯の中に蛇がいるとおびえている人のことである。実は、床にかざってある弓にほってある蛇の絵が映っているだけだった。 余計な心配ばかりしている人は、結構多い。 そんな心配ばかりしないで飲みましょうよ。 酎ハイだ、イエイ! |
2008,03,25, Tuesday
修了
今日は、下の子どもの大学院修士課程の修了式である。4月から社会人となって企業で働く。私とは全く別の道を歩き始める。これで一応、親としての経済的責任から解放される(予定)。
この子は小さい頃からぜんそくを持ち、夜中に発作を起こして病院に連れて行くことがしょっちゅうだった。入院したこともある。小学校の時には、体育の時間に実技ができず、通知表の体育の欄が空欄だったこともある。学校を休むことが多かった。 私は、この子が小学校4年生に上がるときに東京で単身赴任をはじめた。それ以後いっしょに暮らしたことがない。親として何もしてやれなかった。それどころか、むしろ親のほうが子どもに心配をかけた。 しかし、それでも子は育つ。弱かった体も自分で克服したようだ。休みがちだった学校にも、高校の時は3年間皆勤したそうだ。そして自分で進学する大学を選び、自分で院に進学し、自分で就職を決めた。たぶんこれから自分で自分の道を選びながら歩いていくだろう。 他の子もいろいろ問題をかかえながらも一つ一つ克服しながら前向きに生きている。子どもは私の誇りでもある。 |
2008,03,24, Monday
ランニング
久しぶりにランニングをした。ランニングと言っても、歩いているようなものである。100メートルを1分くらいのスピード。1時間で6キロが精一杯である。あの100キロマラソンを走った体力はどこに行ってしまったのだろうか。
あの時から見ると体重も15キロほど増えてしまった。昨日の写真のように体つきもかなり見苦しくなった。でも、走ると気持ちいい。 |
2008,03,17, Monday
ネット離れ
旅行に行くときには、たいていノートパソコンを持ち歩く。そして、宿泊先についたら、LANにつなぎ、メールをチェックし、必要な場合は返事を書く。それからインターネットで世の中の出来事をチェックする。それからしばらくはネットサーフィンをする。何か調べる目的があるわけではない。ネットサーフィンするのが、習慣にになってしまっている。ネットサーフィンを打ち切るには、強い意志が必要だ。
ところが、最近1日だけだが環境の悪いところに宿泊した。LANどころが電話回線も来ていない。これではメールのチェックもできない。丸1日、ネットを見ない生活をした。何か、暗闇の中に放り出されたようで不安だった。しかし、何も起こらなかった。わたしごときがネットにつながなかったからと言って、世の中はびくともしない。 1日たってみるとむしろ爽快感が残る。ネットにアクセスしなければ不安になったり、サーフィンをやめるのに強い意志が必要だったりするのは、おそらくネット依存症である。中毒と言ってもよい。少し、コンピュータ離れ、ネット離れをしなければと思っている。 休網日をつくる必要がある。 |
2008,03,12, Wednesday
最後のチャンス
今日は、国立大学の後期日程の入学試験。
おそらく、受験生にとっては最後のチャンスだろう。受験生も真剣だが、実施する大学側も真剣である。 今日は、他のことはすべて忘れて、与えられた任務を果たす。 |
2008,03,06, Thursday
研究会案内「授業づくりネットワーク2008春」
次のような研究会がある。昨日案内が来た。
絶対にお勧めである。 授業づくりネットワーク2008春 |
2008,03,05, Wednesday
学習指導要領について
2月16日の記事で次のように書いた。
2 共通事項に「間(ま)」「序破急」 この概念を中学生に理解させるのはかなり難しい。感じさせるのはもっと難しいかも知れない。どのような授業をづくりをすればよいのか。想像がつかない。 この記事を読むとまるで茶化しているように思えたかもしれない。しかし、私は茶化しているのでも批判しているのでもない。ただ、必要な概念だが、具体的にどのような教材を使って、どのように認識させていくのか、なかなか難しいということを言いたかったのである。 もちろん、今後研究をしていきたいと思う。 ただし、これが批判か茶化しのようにとられる方があったとすれば、関係者に申し訳ない。 偶然だが、ある大学院生が「序破急」を理解させるレポートに取り組んだのだが、それが非常に難しかったと言うことがあったばかりで、そのあとすぐこの「序破急」が出てきたので、このような表現になってしまった。 |
2008,03,04, Tuesday
万年筆がほしい
私は、文章を書くときは最初からワープロに打ちする。
論文を書く場合もそうである。もう20年以上、ずっとそうして来た。 もう、手で文字を書くことがほとんどない。私はとりわけ悪字だから、ワープロにはすぐに飛びついた。(ついでに言えば、ワープロが出る前は和文タイプライターを使っていた) しかし、どうもそれではだめなようだ。 軽いものならそれですむ。しかし、ワープロで打った文書にはどうも思考のあとがない。 どんなに文を推敲しても、しょせんワープロで打った文章だというのはのこる。 文を打つというだけで、考えているつもりになっているだけなのかも知れない。脳みその大半が知らず知らずのうちに「入力→変換」の作業に使われているのかもしれない。 私の親しいある人は、今でもまず手で下書きをし、文章を推敲してからワープロ(コンピュータ)に向かうそうだ。そもそもワープロ打ちが苦手なせいらしいのだが、しかしその文には思考のあとがあるし、心があらわれているような気がする。考えるというプロセスと入力するというプロセスを分けるべきなのかも知れない。 そういえば、昔尊敬していたF先生は原稿が手書きだった。 音楽教育界の重鎮の先生もそうだった。 もうおそいかも知れないが、文章を書くスタイルをかえたほうがよいのかも知れない。 まず、万年筆でも買うことにするか(もう、30年ほど持ったことがない)。 実は万年筆がほしい。 万年筆、おすすめは? |